ヨーロッパの財閥と企業グループ5 ロスチャイルド家の興亡 金融王ネイサン

ロスチャイルド家の三男で、イギリスに渡ったネイサン・ロスチャイルドは、のちに「金融王ネイサン」と呼ばれます。彼は天才的な投機能力を持っていました。

 
ロンドンの金融街シティに登場する前のネイサンは、フランス革命の影響で流通が混乱し、綿製品が高騰していたことに目をつけ、イギリス・マンチェスターで綿製品を大量に安く買いつけてドイツに直送し、莫大な利益をあげていました。ネイサンは中間マージンを徹底的にはぶくために、買い付けだけでなく、綿糸から染色のための藍の売買まで手がけて総合的な綿製品業者として成功していました。


また、ネイサンは、ナポレオンに追われたヴィルヘルム9世の財産管理を委託された父親のマイヤーから「フランス軍の目から隠せ」と預かった、その財産を使って貴金属に投資し、これまだ莫大な資産を生み出したとされています。


1807年、ヴィルヘルム9世の60万ポンドの資金を年利3%の公債で運用しながら、そこで得た金を元手にして貴金属投機で利益率20%という利益を上げたとされています。また、イギリスがヨーロッパ同盟諸国(オランダ、プロイセンなど)に提供した4200万ポンドの資金の半分を彼が調達するほど強大な財力と権力を持つようになっていました。


さて、フランスを征服したナポレオンは1806年、敵対するイギリスに経済的な打撃を加えるために「大陸封鎖令」を発令します。これは、産業革命が勃興しつつあったイギリスとヨーロッパ大陸諸国との貿易を禁止して、 イギリスを経済的孤立に追い込むことが狙いでした。しかし、大陸諸国は豊かな経済力を持つイギリスと貿易ができなくなることに不安を覚えました。


ロスチャイルド商会は、この大陸封鎖令をも利用していきます。イギリスとその植民地から届いていた商品、コーヒーや砂糖、綿製品などが封鎖令によって輸入できなくなり、底をついて暴落したのを見たマイヤーと息子たちは、独自のルートを使って大々的に大陸にそれらの商品を運び入れ、売りさばいたのです。


ロスチャイルド家の人々は、金融だけに敏感なのでなく、需要と供給のバランス、ひいては人間の欲望や心の弱さにも敏感だったといえます。それは広義の“商才”と呼べるでしょう。大陸に物資を運ぶことは、フランスからすれば密輸ですが、商品の販路を失って経済的に混乱していたイギリスの経済界からすれば、安くしても売りさばきたいと願っていたはず。ロンドンのネイサンが安く買い叩き、兄弟が海岸で物資を受け取り、欧州各国に運び、高値で売ることによってファミリーはさらに巨大な利益を手中に収めたのです。皮肉なことにナポレオンは、ロスチャイルド家のビジネスを後押ししたことになります。


ナポレオンの戦いを描いた史記にロスチャイルド家の名前が登場することはありませんが、じつは当時ロスチャイルド家は陰で政治・経済に深くかかわる情報を操っていたという大胆な見方もできます。ロスチャイルド家の資産がナポレオン討伐に運用されたのです。


蒸気機関車が登場する前の交通手段は、駅馬車でした。郵便もこれを使っていました。日本ならさしずめ「飛脚」といった位置づけでしょうか。パリとロンドンの間にはドーバー海峡があるので、パリ-ロンドン間の郵便は片道4、5日かかったとされています。そんな状況の中、ロスチャイルド商会は、複数の専用馬車を欧州に走らせていました。荷物は手形や手紙、現金や密輸品です。しかも専用場所の荷台は二重底になっていました。さらに各国の兄弟に届けられる手紙は、北部ヨーロッパのユダヤ人が用いるイディッシ語に暗号めいた約束事を組み合わせたもので、知識のない者には解読不能でした。ファミリーだけが知りうる秘密を保持するための方策だったようです。


こういったファミリーの手練手管には、単に金儲けのうまさ、ずる賢さだけでなく、高度な「知性」をも感じます。そしてファミリーは戦争をも投機の材料として扱っていくのです。


By Master K/益田 慶