FXライフ 6 ドルの歴史と世界のドル プラザ合意
第二次世界大戦後のUSドルの歴史は、世界的にドルの保有高が増大した歴史でもある。金本位制だった1949年から1969年までの20年間には約1.5倍にしかならなかったが、金本位制からドルを自由に刷れる「ドル本位制」に以降した1971年から現在までの36年あまりの間に20倍になったとされている。そして今日に至るドルの歴史は「マネー経済」の歴史とも重なる。1980年代ぐらいまでは、お金のやりとりのほとんどは実物経済だった。それがマネー経済に転じたのが、1980年代なのである。
1985年の「プラザ合意」後、為替は外債投資規制の緩和などによって、いったんドル高・円安傾向になった。日銀はプラザ合意の要請に従ってドル安になるよう協調介入を行い、外国為替相場をコントロールした。1887年2月には「プラザ合意」以降のドル安進行を止めるために通貨安定に向け協調介入を行うことを決定(ルーブル合意)。しかしその後もドル安は止まらなかった。
同年10月にはニューヨーク株式市場で史上最大の暴落が起きた。世に言う「ブラック・マンデー」である。原因はアメリカの貿易赤字と財政赤字の拡大やドル安に伴うインフレ懸念だと言われている。投資家たちが日本やドイツが公定歩合を引き上げることを予想し、アメリカ市場から資金を流出させたことによって記録的な株価暴落を招いたという分析だが、一方ではコンピュータによる「プログラム売買」の損切りの連鎖反応が下落を加速させたという見方もある。
大口投資家は投資している株式の銘柄をコンピュータで管理しているが、万一どれかの銘柄が一定の幅を超えて価格が下落した場合、損失を最小限に抑える(損切りする)ため、その銘柄を売りに出すというシステムを組んでいる。ところが、みんながそういうシステムを使っていると、いったん株価が下がり出すと、全員が一斉に自動的にすべての株を売り始めることになり、売りが殺到して株価の下げが加速し、一気に大暴落を起こしてしまうという構造だ。さらに株価が下がり出した場合、投機筋がまだ株価が高いうちに空売りをして、下がり切ったところで買い戻して利益を得ようとするので、暴落に拍車を掛けてしまう。まさに「マネー経済」の幕開けを象徴する事件であった。
さて、USドル以外の「世界のドル」の中には、USドルと等価のものがある。北大西洋のバミューダ諸島で使われるバミューダ・ドルである。両者間の為替レートは、1バミューダ・ドル=1 USドルで固定されている。島内ではUSドル紙幣で買い物をすることも可能だ。国としてのバミューダは、イギリスの海外領土に属し、イギリス女王を国家元首とする独立国である。
この島を有名にした制度が「タックス・ヘイブン」だ。小さな島国など、産業の発達しない国が国際物流の拠点となることを促進するために作った制度で、税金が免除されたり、低い税率が適応されたりする。貿易の拠点となれば定期的に寄港する船乗りなどが外貨を消費するため、海洋国家にとっては有利な方法だと考えられてきた。イギリスとアメリカ両国の領であるヴァージン諸島、ケイマン諸島、マン島も「タックス・ヘイブン」の島である。
しかし、「タックス・ヘイブン」だからと言って物価が安いとは限らない。バミューダを訪れた者は総じて「物価がとても高い」と語る。安普請のホテルでも東京都心の超高級ホテル並みの宿泊料。レストランで食事をすれば100ドルを超えると聞く。バミューダでは、企業の利益や個人の所得、財産・資産、相続、配当などなどに税金が一切かからないから、会社を設立したり、不動産を購入したりした者は恩恵をこうむる。また、金融機関口座は個人資産家からは「オフショア金融センター」として人気が高いが、観光客は本国イギリス並みの物価に戸惑うことになりそうだ。
By Master K/益田 慶