ヨーロッパの財閥と企業グループ9 ロスチャイルド家の興亡 ロンドン・ロスチャイルド商会
金融王ネイサン・ロスチャイルドが1836年に他界した際の遺産は、6億フラン以上であったといわれています。この数字は、フランス国内の他のすべての金融業者の資産総額より1億5千フランも多いと推測されます。
ネイサンの息子ライオネルの時代にロンドン・ロスチャイルド商会は、18ヶ国の債権16億ポンドを取り扱いました。これは1900年のアメリカの金本位制の純金換算で78億ドル(現在の時価でほぼ10兆円)。
20世紀末のアメリカ中央銀行の保有額をはるかに超える財産を個人が所有していたことは、奇蹟のような事実です。ロスチャイルド家は、ロシアに君臨した女帝エカテリーナ2世の後継者である皇帝アレクサンドと皇帝ニコライの財産も支配しました。また、1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家がその利権を支配するようになります。インドには先進国のヨーロッパ諸国が求めた嗜好品、つまり紅茶、コーヒー、香料、煙草、アヘンが豊富にありました。1805年からインド独立の1947年まで、ロスチャイルド家に関連する人物がインド総監に任命され、貿易の利益は英国ロスチャイルド商会に吸い上げられたようです。
ロスチャイルド家は、アメリカにおける代理人オーガスト・ベルモンドの活躍でアメリカにも広大な利権を広げ、国際的な事業や戦争にも深くかかわるようになります。こうして今日でいうところの「多国籍企業」が誕生していくわけです。ファミリーにまつわるエピソードは数え切れませんが、「スエズ運河株買収劇」はロスチャイルド家のスケールの大きさを世界に見せつけた一例でしょう。
地中海と紅海を結ぶスエズ運河は、ヨーロッパにとってアジアへの最短距離を可能にするものであり、中東諸国にとっては利権争いの源になりかねないものでした。スエズ運河の建設は当時の大国の協力が必要と見なされ、イギリス、ドイツ、アメリカなどに声がかけられたが、最終的にはフランスとエジプトが中心となり進められました。イギリスはスエズ運河建設計画に無関心でした。
1859年の着工から10年の歳月をかけてスエズ運河が1869年に開通すると、世界の海運地図ががらりと変わりました。喜望峰まわりの半分の距離でインドに達することがわかると、インド貿易を支配していたイギリスはスエズ運河を利用しないわけにはいきませんでした。フランスやドイツとヨーロッパの覇権争いを繰り広げてきたイギリスにとって、スエズ運河会社の株式は、とても魅力的なものに見えました。イギリス国内でも「スエズ運河建設に出資しなかったことは大いなる失策」と非難されました。
1875年に事態は急変。運河建設に多大な出資をしたエジプトのイスマイル・パンシャが財政に破綻をきたしたのです。同社は保有するスエズ運河株を売却する方策をさぐりました。放出する株は、時価ににして400万ポンドでした。
当時のイギリス首相は、ロンドンのロスチャイルド家と親密な関係にあったディズレリーです。当時のロンドンの金融界のボスは、ネイサンの長男ライオネル・ロスチャイルドです。ディズレリーはライバルのフランス政府に株の買収を知られないように動きました。
イングランド銀行から公金を引き出すには、国会の承認が必要でした。これには時間を要すると考え、ディズレリーはライオネル・ロスチャイルドに400万ポンドを貸してくれるよう依頼します。その際にライオネルが「何を担保とするのか?」と聞いたところ、首相の使いは「イギリス政府です」と答えたといいます。
ライオネルはロスチャイルド銀行からポンと400万ポンドを提供。こうしてイギリスがスエズ運河の最大の株主となったのです。
大英帝国の歴史上、最大の富豪は、当時のヴィクトリア女王であったとされていますが、女王の全資産は500万ポンドでした。ロンドンのロスチャイルド家はそれ以上に資産を持っていたことになります。ライオネルはこの融資で再び大もうけしたといわれています。
By Master K/益田 慶