ヨーロッパの財閥と企業グループ 17 ロスチャイルド家の興亡 ジェイコブ・ロスチャイルド
ロンドン・ロスチャイルド家のジェイコブ・ロスチャイルドは、1980年以後のファイブ・アローズ証券会長職、J・ロスチャイルド・ホールディングス社長、RITキャピタル・パートナーズ会長として辣腕をふるい、ジョージ・ソロスらの金価格操作やヨーロッパ各国の企業買収、CIAレポートなどに暗躍した人物として知られています。
ジェイコブは、まず子会社としてロスチャイルド投資信託銀行を設立します。これは外部から資金を導入することによってロスチャイルド親子銀行を強大にし、イギリス内外の一般銀行に負けないようにするための方策でした。ロスチャイルド財閥は、企業のM&Aを積極的に行うようになり、業績も上昇します。ジェイコブはロスチャイルド家の本流であるロスチャイルド親子銀行を飛び出し、子会社であったロスチャイルド投資信託(RIT)を1980年に独立させるやいなや、大胆な投資活動に乗り出します。
美術品オークション会社サザビーへの投資、投資信託銀行ノーザンの株の取得など吸収合併を繰り返し、事業規模を拡大していきます。1983年にはアメリカ・ウォール街に進出して二ューヨーク・マーチャント銀行の株50%を取得、同年末にはチャーターハウス銀行グループと合併して、チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行を設立します。ロスチャイルド投資信託(RIT)は、ロスチャイルド親子銀行から独立した4年間で資本金を4倍にします。
ジェイコブの真価は、それまでに買収した企業の株を数年間のうちに切り売り、一時期だけ事業規模を縮小したことにあります。買収した時より高価で売れ、ジェイコブは1990年から始まるヨーロッパの不景気を見越していたかのように売り抜けに成功します。ヨーロッパ、特にイギリスは冷静の終焉と時を同じくして不況に陥ったのです。
反対に株の販売でゆとりのある資金を得たジェイコブは、90年代に入ると、投資管理会社RITキャピタル・パートナーズ、ベンチャー投資会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルズを設立。また、ウォール街の投資銀行との合併で設立した子会社J・ロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社でマーケットを拡大し、ソ連の崩壊によって自由市場が誕生するのを見届けると、1992年にロシア・アメリカ投資銀行の設立にこぎつけます。ジェイコブの躍進はまだまだ続きます。1994年には、ロスチャイルド・アセット・マネジメント投資会社を設立。これは世界中のバイオ関連会社の中から将来有望な会社を探し出し、先行投資するものです。
ジェイコブは世界を視野に入れて巨額の資本を動かす投機家として活躍します。第二次世界大戦後、ロスチャイルド財閥が加速度的に国際金融業界に君臨するようになった背景には、ジェイコブの辣腕が活かされたことは確かです。
ロンドン・ロスチャイルド家とともに、戦後生き残ったもうひとつのロスチャイルド家、パリ家の復興にも目を向けてみましょう。当時の当主ギー・ロスチャイルドは、ナチスに抵抗してパリを逃れていました。戦時中はド・ゴール(当時フランス軍将軍)の密使を務めたともいわれています。パリのロスチャイルド兄弟銀行は、ナチスに協力したヴィシー政権によって没収されていた証券類を取り戻し、事業を再開します。パリ分家の企業群は、その富の源泉となっていた電力やガスなどを国有化され、大きな痛手を受けていました。
一族が保有するロイヤル・ダッチ・シェルは1947年に増資を行い、ロンドン分家と半々で出資している金属鉱山会社リオ・ティントも再興します。ギーは1949年に父の死後、パリ・ロスチャイルド兄弟銀行の資本金の半分を握って頭取就任。パリの主要事業のひとつであった鉄道部門は1937年に国有化されていましたが、傘下の企業は一族の所有のまま残っており、増資を行って挽回していきます。
By Master K/益田 慶