ヨーロッパの財閥と企業グループ 37 欧州財閥の系譜 ロシア財閥2
石油取引で財を築いたロシアのロマン・アブラモビッチが2003年7月にイングランドの名門サッカークラブ「チェルシー」を買収し、約160億円ともいわれる負債を返済してオーナーになったように、ロシアの新興財閥はこぞってヨーロッパに進出していきます。それを受けてロシアの新興財閥に対するプーチン政権は強攻策に打って出ました。資産家が保持する資産の国外流出を招くと懸念したのでしょう。新興財閥の資産凍結や没収も検討されました。
反プーチン的発言を繰り返し、現在は脱税容疑で懲役刑に服しているミハイル・ホドルコフスキーもアブラモビッチ同様、新興財閥と呼ばれる若手経営者の一人です。1963年生まれのホドルコフスキーは、コムソモール(ロシアの共産党青年組織)書記を経て、1988年に科学技術プログラム制作会社「メナテップグループ」を設立します。その後、ジルソツ銀行と合同し、科学技術進歩商業革新銀行を設立し、1990年に「メナテップ銀行」と改称し、同行を中心にグループを拡大します。「メナテップ銀行は、ロシア共産党の隠れ資産の運用・資金移転を実行していた」という風聞もありました。ホドルコフスキーは1995年に実施された株式担保型民営化の過程で多数の企業を買い取り、同銀行を核にした巨大なホールディング会社を形成していきます。
ホドルコフスキーは1995年、グループ管理会社「ロスプロム」を設立し、メナテップグループは外国為替取引や国債運用でグループの資産を増やすと同時に、ロシア国内の有望企業に投資や買収を実践していきます。ロスプロムはメナテップグループの投資部門から切り離され、「ロスプロムグループ」として一大財閥を形成していきました。担保入札を通して食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収めていきます。そして大手石油会社「ユコス」の吸収に着手していきます。メナテップ銀行は1988年のロシア金融危機によって破綻しますが、ホドルコフスキーは1998年にユコス社の社長に就任し、原油の対米直接輸出を開始します。これによってユコスはロシア最大の石油会社に成長します。新しい石油王は、新興財閥の筆頭格として世界中から注目をあびました。
そして2003年4月、アブラモビッチが株式のほとんどを保有している石油企業「シブネフチ社」の吸収計画を発表します。しかし、同年10月、ホドルコフスキーは脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコス社長を辞任します。彼の逮捕は、2003年にホドルコフスキーがプーチン大統領への批判を公言しはじめたことが直接の原因と噂されています。
当時ロシアの地元新聞は「プーチン政権と石油王ホドルコフスキーの抗争の帰結は、今後10年間のロシアの行方を決定することになるだろう」と論じました。ロシアの財閥は経済だけでなく、政治にも深く関与してきました。ホドルコフスキーとアブラモビッチをはじめとする新興財閥は、2003年末の選挙で特別多数決を阻止できる数の議席を手に入れて、議会を「民営化」することを目論んでいたのです。
一方、プーチン大統領は、ロシア政府が38%の株を所有する企業「ガスプロム」のような国有企業の新たな民営化や、戦略的分野への大規模な外国投資を間近に控え、新興財閥の機先を制しようとしたのです。プーチンは新興財閥がロシアの経済的支配を強め、ロシアへの多国籍企業の進出条件を勝手に決めるようなことは容認できなかったのです。
ユコスとホドルコフスキーの影響力によって、この「ユコス事件」は国際的な広がりを見せることになります。ロシアの新興財閥は、このように常に政治的な側面をはらみながら、今日に至っているのです。
By Master K/益田 慶