100年企業 6 旧財閥系の100年企業 旧鴻池財閥・旧東京川崎財閥

資産を蓄えた江戸時代の豪商が江戸や京都・大坂で両替商を興し、江戸幕府や明治政府の政商へと成長し、やがて財閥に発展していく過程は三井家や安田家が典型である。明治以前の最大財閥といえば、おおよその予想だと三井となるのだろうが、実は江戸時代は鴻池(こうのいけ)家が最大であった。鴻池家は現在の兵庫県伊丹市で醸造を始めたのが起源だ。やがて大坂から江戸へ送る大量の酒は、陸路では間に合わず海上輸送を始めた。事業は大名貸しから両替商に拡大し、全盛期には全国110藩が鴻池家から融資を受けていたらしい。鴻池家は幕府の全資産に匹敵する額の資産を蓄えていたとのことだ。


時代劇で描かれることはないが、新撰組の設立資金を提供したのが鴻池家だ。当時から「鴻池銀行」の様相を呈していたようだ。
しかし鴻池家は明治政府が開かれてからは、三井や三菱のように政府のスポンサーとなる道をとらなかった。企業立ち上げの発起人として名を連ねる程度だが、いくつかの「100年企業」にかかわっているので紹介していこう。

1880年に大阪で創業された「鴻池運輸」は、現在も鴻池を名乗る社長が経営者であることを見ると、正真正銘の鴻池家の流れであるようだ。
1889年(明治22年)日本で3番目(明治生命、帝国生命、日本生命)の生命保険会社として設立され、現在保険料収入において国内第2位(1位は日本郵政グループの「かんぽ生命」)を誇るのが「日本生命」である。同社は第百三十三国立銀行の頭取が関西の財界人に呼びかけ、社長に第11代鴻池善右衛門を迎えてスタートした。鴻池財閥の企業という色合いより、鴻池家の当主の名前で関西政財界の信頼を得ることが眼目であったのだろう。


時間を少しさかのぼり、鴻池家の銀行経営を見てみよう。鴻池家は1877年(明治10年)に第十三国立銀行を設立し、国立銀行の満期にともない、1890年(明治30年)、個人経営の「鴻池銀行」を興し、第十三国立銀行の営業を継承した。1933年、いずれも大阪に本店を置く鴻池銀行、山口銀行、三十四銀行が合併して誕生したのが、かの「三和銀行」である。関西の旧財閥系企業グループとして「三和グループ」を挙げる場合があるが、それは同行をメインバンクにしている銀行系列の意味合いが強かった。有名な企業としては、1905年創業なので「100年企業」に該当する「神戸製鋼」や1918年創業の「帝人」、積水化学、宇部興産などがある。


鴻池家同様、金融財閥として君臨したのが旧東京川崎財閥。関西にも川崎財閥があるので、所在地から東京川崎財閥と呼ぶことにする。「8大財閥」といえば、三井、三菱、住友、安田、浅野、古河、大倉、川崎(東京)という顔ぶれになる。


幕末に水戸藩御用商人を務めた、大庄屋の川崎八右衛門が起こした為替取扱い業「川崎組」が起源だ。初代・八右衛門は1876年、先週紹介した安田財閥の祖・安田善次郎とともに日本橋に第三国立銀行を開業。1881年に単独で設立した川崎銀行を核にして保険、貿易、鉱業などに進出し、同族による企業統治を固め、東京に川崎財閥を築いた。二代目・八右衛門は1878年、安田善次郎ととも第百銀行を設立。のちに川崎銀行と合併し、常陽銀行、千葉合同銀行、足利銀行などを系列化した。二代目はほかに川崎信託銀行を設立。これが日本信託銀行に改名され、のちに三菱銀行に救済、現在の三菱UFJ信託銀行へと発展していく。


当時の直系会社22社を管理する会社として1906年に設立した不動産業「川崎定徳合資会社」が、旧東京川崎財閥を代表する「100年企業」である。同社は川崎定徳株式会社に改組し、現在も日本橋に本社を構え、六本木や新宿に賃貸物件を管理・保有している。また同年、日本火災保険を買収。これが現在の日本興亜損害保険火災海上に発展する。川崎財閥は戦後の財閥解体で解散したが、関東エリアで金融業務を手広く展開した戦前の金融財閥として覚えておこう。


By Master K/益田 慶