ヨーロッパの財閥と企業グループ 45 欧州財閥の系譜  エリツィン

旧ソ連解体を主導、新生ロシアの改革を推進したボリス・エリツィン前ロシア大統領が4月23日、心不全のためモスクワの病院で死去しました。8年半の大統領在任中は欧米との関係改善を進め、冷戦を最終的に終結。ロシアの民主化を進めるなど歴史的な役割を果たす一方、1993年の旧議会砲撃、94~96年のチェチェン紛争では強権色を鮮明にし、経済的な混乱も招いた功罪相半ばした政治家でした。


一般的には、このエリツィンの経済政策が、ロシアの新興財閥を生み出し、貧富の格差を拡大させたといわれています。新興財閥のうち、現在イギリスに亡命中のベレゾフスキー、ロシアの元メディア王グシンスキー、アナトリー・チュバイス(統一エネルギーシステム)らは選挙戦時にエリツィンを支援する米国式のマスコミ戦略を展開し、エリツィンの続投に成功します。選挙後、政府に対する新興財閥の影響力は強まりました。


プーチン政権になってからは、新興財閥摘発政策が進められ、政治に介入、あるいは政権に敵対する財閥らは脱税や横領などの容疑で次々に摘発され、政治的影響力を失いました。エリツィンを支援した新興財閥の中で堅実なビジネスを展開しているのが、銀行家のアレクサンダー・スモレンスキーです。


ロシアでは、1997年に銀行の設立が自由化されました。翌年、「ロシア金融危機」が訪れます。ロシア政府はIMFから巨額の支援融資を取りつけます。 しかし世界経済の荒波は厳しく、マレーシア、インドネシア、日本などで危機(アジア経済危機)が深刻化したため、「ロシアや中南米市場もいよいよ持たないのではないか」という観測が投資家の間に流れ、ロシアから資金が逃避する傾向が強まりました。


ロシアの国債や地方債、企業債の相場も下落し、債券を大量に保有していたロシアの銀行は、倒産の危機に陥りました。銀行家であるアレクサンダー・スモレンスキーらの圧力もあって、当時のキリエンコ首相は、銀行が外国から借りていた借金の返済を90日遅らせるとともに、ルーブル相場を事実上50%切り下げる政策を選びました。返済遅延の宣言は事実上、国家が借金を返さないという「デフォルト宣言」でした。


この方策は、ロシアの銀行を助けることになったものの、その反面、ルーブル下落は国民生活を直撃しました。また、首相が「ルーブル建ての国債の償還を遅らせる」と発表したことで、外国の投資家に不利な条件となっており、欧米の金融機関から非難されました。


「ロシア経済危機」をしのいで生き残ったアレクサンダー・スモレンスキーはもとより、現在ではその息子のニコライ・スモレンスキーが「大富豪」ぶりを発揮しています。2004年に英国のスポーツカー専門メーカーTVRを、約30億円で買収。製造と販売の部門を分割するなど、自動車メーカーとしての体制を築き始めましたが、経営は芳しくないようです。新しい工場の立地場所も二転三転し、最終的には2007年中に完成車の組み立てを英国外に移管することを決めたとのことです。ニコライ・スモレンスキーは、いわば新興財閥2代目ですが、投資分野で頭角を表している新興財閥もいます。


最近になって複数の有名企業が総面積100万平方メートルを超える規模の住宅建設プロジェクトを発表しています。中でも有名なのが、石油会社「チェメニ石油」の会長で「シベリア・ウラル・アルミニウム」の総支配人のビクトル・ベクセリベルグが所有する「レノワ・ストロイグループ」(エカテリンブルグ市内に900万平方メートル)と、スレイマン・ケリモフが代表を務める「ナフタ・モスクワ」(モスクワ州西部に270万平方メートル)です。ケリモフは2006年『フォーブス』億万長者番付の72位に急浮上し、2007年版では35位にランクアップした人物で、ほかのロシアの新興財閥と異なり、投資をメインにする実業家です。現在41歳。ロシアにもケリモフのような人物が「時代の寵児」となる環境が整ったということでしょう。


By Master K/益田 慶