小栗上野介が駆け抜けた時代 67 近代資本主義の萌芽  近江商人と近代資本主義

幕末は近代資本主義の芽が生まれた時代です。一般には明治維新がきっかけで資本主義の発芽が起こったと見られていますが、すでに江戸時代に株式の概念は導入され、商業では能力主義や成果報酬が用いられていたようです。共同出資というしくみも江戸時代に生まれたものです。


鎌倉時代から江戸時代を経て明治時代まで活躍した近江国(現滋賀県)出身の近江商人たちが編み出したしくみが、日本の共同経営の起源だとされています。江戸時代に京都、大坂、江戸の三都市を中心に行商をしていた近江商人は、早くから情報の共有や競争の回避、旅行の安全などを目的として「講」という団体組織を作っていました。「講」はもともと出身地別または行商先別に結成されていましたが、のちにこれが発達して権益や商権の保護なども行うようになり、株仲間のような同業者組合的性格を持つようになりました。近江商人の資金調達形態には、非常に近代的な共同出資があります。


彼らは経営の範囲が広がると個人が資本を出し合い、乗合商合(のりあいあきない)や組合商合(くみあいあきない)を行いました。これは一種の共同企業体で、ジョイントベンチャーともいえるでしょう。個人事業では資金面、技術面、人材面、労力と時間の観点からリスクが伴うプロジェクトを合資制度による企業体形成で実現しようとするものです。共同出資にすることでリスクを分散するとともに、ヒト・モノ・カネ、情報、技術、信用などの経営資源を共同で利用し、その有効活用を図ったのです。

 
近江商人は、まず多店舗展開のための資金調達の方法として、共同出資を始めたのです。当初は地元の業者から施設や店舗を借り受け、近江の奉公人を支配人として派遣する形態がとられました。たとえば両浜商人の藤野喜兵衛らは1738年に蝦夷地(北海道)で場所請負の共同企業をつくり、1741年には八幡商人・西川伝治が21人の出資を得て北海道海産物を商う共同企業を設立しています。蝦夷地(北海道)の商品を取り扱うには、商船、船員が必要。個人で集められなくても共同出資なら可能です。ほかには呉服商や大名貸、醸造業などが共同出資で行われました。1813年には稲本利右衛門が西村重郎兵衛と共同出資し、呉服商を開いています。 


ほかには「大当番仲間」と呼ばれた制度があります。近江商人の仲で日野出身の日野商人たちは、商人相互間の扶助と幕府の保護を得るため、「日野大当番仲間」を組織しました。この組織の最大の特色は、幕府の庇護のもと、売掛金の徴収が滞まった場合にその領主に訴えて幕府の威光によって徴収できる権限を持ったことです。また、大当番仲間で東海道や中山道の各宿場に現在の指定旅館、契約ホテル制度のような「日野商人定宿」を設け、旅の便宜を図りました。組織で宿を確保することで安心して旅ができ、また料金も多少安くなったのかもしれません。宿は江戸への行き帰りに利用され、1770年には181軒もの定宿数になったようです。


さらに近江商人たちは、西洋の複式簿記と同じ形態の会計システムをすでに江戸時代に採用していたという記録が残っています。厳格な身分制度社会において労働の成果を貨幣に置き換えて評価する習慣がなかった時代に、資本と利足を保全した上でさらにそれ以上の利益が生まれると「出精金」「徳用」といって各店の支配人たちに配分され、使用人の励みになるシステムを採用したのです。これはまさにボーナスの起源です。


そうしてようやく商社という発想が生まれます。明治政府の外務大臣となった陸奥宗光は坂本龍馬の海援隊に加わっていた頃、「海援隊商法」を次のように記しています。「商法の根本は、組合を以て商社を設立すること、物資の輸送には荷為替を設けること、商売は船長に委託し、これに運上金を課すこと」。ここで注目したいのは、商法つまり「商いの方法」の根本は「組合をもって商社を設立すること」とされていることです。

By Master K/益田 慶